ブルックナー//メモランダムⅤ⑤ーベーム 再考

 ベームのライヴは1975年に集中的に聴きました。ウィーン・フィルの日本公演。3月17日:NHKホールでは、ベートーヴェン/レオノーレ第3番、ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲、ブラームス/交響曲第1番の演目でした。ブラームスの1番はベームでどうしても聴きたかったのです。何故ならば、この曲の素晴らしさを教えてくれたのは、ベーム/ベルリン・フィルのLPだったからです。
 
 この頃、貴重なコンサートのあとは、その体験が勿体なくて、稚拙であっても、自分なりにその感想をしるすことを日常にしていたのですが、このコンサートほか3夜を聴いたのですが、何も書きませんでした。正確に言えば、「書けなかった」のかも知れません。音楽に満ち足りてそれで十分といったことだったように朧気ながら記憶する一方、ベームの演奏評は、実に書きにくいということに原因があるのではといまは思っています。
 1968年にでた臨時増刊『指揮者のすべて』(音楽之友社)は、いまも手にとる座右の雑誌ですが、当時の気鋭の音楽評論家黒田恭一氏のベーム論を読みかえしてみて、この感を強くしました。ベームの音楽は素晴らしい。しかし、その演奏の特質を文字で残そうとすると、「正確な」とか「正統的な」といった表現が思いつき、では、どこが「正確」なのか、なにが「正統的」なのかと問われれば、同義語反復(Tautology, ギリシャ語:ταυτολογία)に陥るといったことがあると思います。
 
 興味深いことに、ベームの少年期のウイーンでは、ブラームス派とブルックナー派が対立し、轟々たる論争が行われていて、ベームはそれをよく記憶しており、彼(ないし父)はブラームス派であったと語っています。それには理由があって、彼の先生マンディチェフスキーはブラームスの大親友であったからです。門前の小僧であり、終生、ブラームスは得意の「持ち駒」であったベームですが、本来そのレパートリーは広く、オペラを得意とし、ハイドン、モーツァルト、ワーグナー、R.シュトラウスなどでも歴史的な名盤を残し、また、ブルックナーの正規録音は彼の足跡では、多くは後期以降ですが、どれも秀抜な出来映えです。
 
 ウイーン・フィルとの録音では、3,4,7,8番が残されていますが、このコンビで、それ以外の番数の演奏がないのは疑問です。ただ、ベームはある時期以降、目を患い左目は手術の甲斐なく失明、右目も相当不自由で、新演目のスコアチェックはできなくなっていたという事情もあったようです。ブルックネリアーナ指揮者の一人カール・ムックの推輓で、ワルターに認められてミュンヘン歌劇場の第4指揮者となり6年後第1楽長に栄達したベームは、ブルックナーでもメイン・ストリームに乗っています。しかも彼はフルトヴェングラーの演奏もよく聴き理解していました。
 
 「書きにくい」演奏評ですが、3,4,7番については以下に記しました。8番を最近、よく聴いています。そこでは、やはり「構築力」という言葉にいきつきます。堅牢な音楽、しかし、そこにはもちろん強い情熱も情感も籠められています。
 緩さがない、生真面目だ、面白みに乏しい、といったベームに対する一般的な批判はあっても、その手堅い「構築力」は誰しも認めるところでしょう。そして、ブルックナーでは、「構築力」ーそれこそが重要な構成要素です。8番では特に感じますが、ベームの重心の低い安定力は、バラツキのない、失敗しない一種の模範的な演奏スタイルとも言えるでしょう。また、同番については晩年のカラヤンのように、音を磨きすぎず、程良い無骨さもけっして悪くはありません。
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