ブルックナー/ミニ・コラム⑤ーブルックネリアーナ指揮者

 ブルックナーの作曲の中心が、宗教曲とともに特に長大な交響曲であったことから、それを世に出す際に、指揮者の影響力は実に重要でした。
 ブルックネリアーナの一人、アルトゥール・ニキシュ(1855~1922年)はブルックナーが教えていたウイーン音楽院の学生でした。そのニキシュは、ハンス・フォン・ビューロー(1830~94年)にはじまるドイツ正統派の指揮法の継承者であり、さらにそれをフルトヴェングラーにバトンタッチしたと言われます。ニキシュは1884年に第7シンフォニーを初演しブルックナーの名声を一気に高める貢献をしました。
 グスタフ・マーラー(1860~1911年)もウイーン音楽院に在籍しブルックナーの講義を登録していました。マーラーのブルックナーへの敬慕は終生かわらず、死の前年1910年ブルックナーの交響曲の出版のために私財を費やしました。また、マーラーはビューローの後任としてウイーンの宮廷歌劇場・ウイーンフィルの指揮者に就任しています。
 ハンガリー出身のハンス・リヒター(1843~1916年)は「指揮者列伝」には必ず登場する大物ですが、ハンスリックの批判も覚悟で1892年に第8シンフォニーを初演します。その歴史的な名演、大成功によって68歳のブルックナーは人生の頂点を極めます。彼はどんなにかリヒターに感謝したことでしょう。
 フェルディナント・レーヴェ(1865~1925年)は1903年に9番シンフォニーを初演しました。さらに、カール・ムック(1859~1940年)も超大物ですが、彼もブルックナー指揮者として名を馳せています。
 ブルックナーの交響曲は、ブルックネリアーナの指揮者によって普及し、さらにそうした指揮者達が「指揮台<ブルテン>のヴィルトゥオーソ」(久納慶一「指揮者の誕生とその歴史」『レコード芸術 指揮者のすべて』1968年7月臨時増刊号 p.196)の時代を次第に築いていくことになります。
 現代の指揮者もブルックナーを取り上げる際には、こうした「指揮者のヴィルトゥオーソ性」を強く意識するでしょう。また、多くのブルックナーファンが指揮者にこだわりをもつ源流はこうした歴史的な系譜と無関係ではなさそうです。
 
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